「和食」と「人の生と死」の意外な共通点とは?

雑談
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今回の記事は、先日考え事をしている時に、ふと、

「『和食』と『人の生と死』って、意外な共通点があるな~」

と思ったので、その共有記事です。

「和食」と「人の生と死」の意外な共通点とは?

意外かもしれませんが、「和食」は明治時代まで存在しませんでした。

もちろん明治時代よりも昔の江戸時代にも、「天ぷら」や「すし」「うどん」「味噌汁」などの料理はありました。

「水戸黄門」や「鬼平犯科帳」などの時代劇でも「うどん」や「そば」を食べるシーンが出てきますよね。

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こんな感じのやつです。(こちらの記事より転載)

しかしそれらの料理の総称である「和食」は、明治時代まで存在しませんでした。

というのも「和食」は、明治維新後に海外との交流が始まって、日本以外の様々な国の食事が日本に伝えられてから生まれたからです。

当時は「ビフテキ」や「ハンバーグ」など、アメリカや西洋などの新しい料理が続々と日本に入ってきて、それまでの日本独自の食事と海外の食事を区別をするために、日本に元々あった食事を「和食」と名付け、海外から入ってきた食事を「洋食」と名付けた事から、「和食」と「洋食」が生まれました。

つまり、それまでに存在はしていたものの、区別するための対象が存在しなかったため、区別する必要が無かったのです。

これは「生と死」も同じです。

普段の生活をしている時には「生きていること」について意識することはありませんが、知り合いの不幸や、ニュース・事件などで「死」を意識すると、対象である「生」への意識が湧きおこってきます。

もし人類が永遠の命を持っていて死ぬことが無かったら、「生」という概念は存在しませんでした。

だからどうなるって事は無いのですが、ふとこんな事を思った次第です。